再会

22年振りに、父親と再会した8月13日。

 

兄貴と同じ感情、「間に合ったとゆう安堵感」。

 

勝手な予想で、不健康に生きてるって思ってたから、死んで後悔するぐらいなら「早く実行せなかん」とうっすら感じてた。

 

GWの墓参り、親父死亡説を疑い役所へ。

 

結果的に生きてて、空白の20年以上が分かり、脳梗塞して下半身麻痺とゆう情報を得た。

 

どんな状態でもいい、生きてて意識があるうちに会いたい。

 

感謝を伝えるとか、謝るとか、責めるとか、そんなんどうだってよくて、とりあえず全員で会いたいと思ってた。

 

会った父親は歩行器で帰宅し、驚きを隠せない様子の次の瞬間には涙を流しはじめ感情が忙しそうだった。

 

何を話せばいいかとゆう考えも追い付かず

 

近況報告と、また会いにくるって旨を伝えた。

 

色々考えた。

 

向こうは別に会いたくないとか、生きてる間にもう会える事ないんやろなーって考えてないかとか、介護を任せてるお姉さんからしたら、今更会いにきたんかって思われないかなとか

 

会う前にワンクッション手紙書こうかなとも考えた。

 

次男の俺の想いが長男の兄貴と共鳴して彼が実行を口にして、実現した。

 

すごく意味のある、大きな歴史的な1日になった気がする。

 

新しい扉が開いた気分にもなる。

 

平均寿命で考えればあと10年ちょっと。

 

余命10年と1年じゃ大きく違う。

 

俺は父親になった事はないけど、お父さんのあの涙や感情の意味や理由が分かる気がする。

 

生きるモチベーションの絶大な存在は子供達なはず。

 

おじいちゃんやおばあちゃんに孝行できなかった後悔がある。

 

身近な親、生きてる大きな人達に少しずつ孝行しよう、そのシナリオは3年前から始まったよ。

 

毎週顔出そう。