恐怖

今朝から3組のトレーニング指導が終わり今

 

飛ばさずうまく変身できた自分を素直に認めて褒めよう。

 

去年このブログを始め、久々になった。

 

考えてること、思ってることをその瞬間に書き出す事は、この病気以外の生活でも大事なこと。

 

人格のスプリットに悩んだ時期もあった。

 

今もそう。

 

昨日考えてた様々な不安とかがなく真逆の人間の考えで物事を整理してる。

 

スプリットを繰り返し、本当の自分がどれなのか分からなくなってた時期を思い出す。

 

昔から自分と何かを強引に重ね合わせる事があった。

 

何かを強引に人生と比較したり、曲を今の自分に重ねてみたり。

 

レーニングとビリヤードにはほんまに救われてる。

 

レーニングで不安に打ち勝ち続ける強さを得て、ビリヤードで目で見る全てが正解じゃない事を知った。

 

また負けて今新たに思うこと。

 

自分の考えを分からせたり、分かってもらう事を望んだり、それが間違い。

 

この間違いも、病気からの孤独感、孤立感からくるもの。

 

そもそも人と人やし、男と女やし、ましてや俺は悪魔の劔を2本持ってるし。

 

様々な恐怖を味わい、恐怖をコントロールしようとして作り上げた自分も

 

たったの一晩、たったの一瞬のストレスで悪魔に取り憑かれる。

 

何回負けたっていい、今はこの言葉で支えられてる。

 

1回も負けたらあかんってのを忠実にやってきた結果の負けはさすがにきつかった

 

1回も負けたらあかんってのが間違い。

 

バスケの決勝で負けたよりも悔しい。

 

あれだけ望んだ1位、大会で優勝したり、全国1位が

 

とった後はほんまになんてないものだった、今でも大事な思い出やけど。

 

そんななんてないものへの執着心から、家族間で距離感がうまれ、孤立感を深めた。

 

もちろんおかんも兄貴も、そんなつもりで言ってはない。

 

でも当時の俺には深く傷がついた。

 

「しょーもないねん。」たったの一言で。

 

俺だけが特別な経験をしてきたとは思ってない。

 

みんなそれぞれ人生の大事な局面てゆうのはある。

 

そこでどう感じるか、何を選択するか。

 

俺は酒だけが友達だと思い酒を選択した。

 

親友が死んだ時も酒を飲んだ

 

思い出して近づきたいとき

 

泣きたい時

 

酒を飲んだ。

 

そこから既に悪魔に手招きされていた。

 

ビリヤードでは毎回のショットで重要な選択を迫られる。

 

もうええわとつく時だってあった。

 

ただ、何を見て、どこを見て、先を予測して、予測通りに進める為には、どこをどの強さでどのつき方でつくかを選択しなければいけない。

 

その選択が間違えても入る事はある、たまたまいい場所に手玉がいく事もある。

 

選択が正しくても外れる事もある。入っても次の予測通りにいかない事もある。

 

外れが重んでもその都度立て直さないといけない。

 

立て直しに失敗すれば結果は敗北。

 

正しい選択が正しい結果につながれば、全て説明がつく。それが自信になり力になる。

 

間違った選択を、間違った選択だと気づき認める事で将来の選択が左右される。

 

ハードな時に逃げる酒を選択し続け、立て直さずきた結果が今。

 

厳しすぎる敗北。

 

ただ、今はこの敗北も全て説明がつく。

 

俺はこれから死ぬまで、この病気と向き合い逃げずに闘い続ける為に、局面局面での選択に直面し、正しい決断ができるかとゆう人生。

 

誰に分かってもらわなくてもいい、分かってほしいとも考えない、自分だけがしっかりしていればいい。

 

動き出せないとはがゆかった2週間が終わりつつある。

 

動き出せないとゆう歯がゆさからの不安も消えた。

 

でも俺は知ってる。

 

症状が回復して反動ではりきりすぎてダッシュしたらすぐまたしんどくなる事を。

 

1個ずつ、1個ずつ。

 

普通の成人が普通に感じる喜びや楽しみを、してみたかったずっと。

 

いい服着たり、友達と楽しい時間を過ごしたり。

 

それが出来てた矢先の敗北。

 

今はもうそうは思わない。

 

俺は俺でいい、俺がいい。

 

真似事の人生じゃなくていい。

 

いい人生を。